失恋ふりかえり日記帳

25歳で初めての大失恋。もがいています。

3/11 その2 彼女を少し許せそうです

少し、彼女のことを許してもいいかな、と思い始めました。

 

実は、しっかり別れられていない、という感覚がずっとあるんです。フェードアウトしたとかではなくて、ちゃんと別れようとは言われたんですけど、ラインで言われただけなんですよね。彼女の声で聞けていない。彼女がどういう表情で、どういう声で、どんな気持ちでその言葉を言おうとしていたのか、ずっとわからないままなんです。

 

別れた後、一度だけ会いました。その時にしっかりと別れの言葉が聞きたかったのですが、いっしょにご飯だけ食べて、どうでもいい話をして、すこし不自然なフレンドリーさをみせて、彼女はそのままスルっと帰ってしまいました。その様子だけ見ても、自分と彼女の心がもはやまったく通っていないのだな、ということはわかったので、その日はそれだけでも満足していました。

 

でも、何日かたって、結局自分の気持ちにキリがついていない、ということを感じ始めました。別れた実感は湧いたけれども、彼女の気持ちは何もわかっていない。やっぱり感情のやり取りをして、しっかり別れたい。

そのあとラインで少し揉めたりして、今に至るまで彼女とは会っていません。もう今さら、別れのときの彼女の心情など聞けようもないのかなと思います。しっかり別れたい、という自分の願いは、かなわずじまいになったようでした。

 

そのことが、今日にいたるまでずっと引っかかっていました。別に彼女を責めたい気持ちがあるわけではないのですが、不誠実だな、とどこか責めてしまうところもあって。

 

それが、今日になって、ふと、彼女は彼女で辛いんだな、ほんとは彼女自身の気持ちと向き合って、自分の気持ちにも向き合ってほしいけど、それができなくてもしょうがないかな、と思えるようになりました。別に彼女を蔑むつもりはないです。彼女は繊細なタイプの人間で、自分のような鈍感な性質の人間よりも、とても多くのことを感じ取るようです。その結果、向き合いきれないぐらいの感情の量に襲われているのだとすれば、向き合うことを強要するのも彼女には申し訳ないかな、と。

 

思えば、付き合っている間も、彼女が感情に振り回されるのをそばでずっと見てきました。あまり助けにはなれなかったけど、そうしたことで傍目には迷惑に感じられるような言動をされても、彼女なら許せました。そういうところも含めて、彼女が丸ごと好きでした。

そのときの感覚が、ふと蘇ってきたんです。あきらめともまた違うけど、彼女を受け入れるというか、そういった部分も含めて、ひとりの人間として理解する、という感覚が。

ふられたあと、ふられる前の自分とふられた後の自分が、同じ人間だとは思えなくなっていました。ずっと、自分という人間がわからなくなっていました。それが辛さの原因のひとつだったのですが、今日のこの感覚も、自分という人間を取り戻すための大事な感覚のひとつなのだと思っています。

 

自分と彼女がどろどろに溶け合っていた状態から、自分という人間の輪郭を取り戻して、彼女という人間を切り離された個別の人間として理解できるようになって、そうしてはじめて、人間同士の適切な関係をもう一度始めることができるのかな、と思っています。