失恋ふりかえり日記帳

25歳で初めての大失恋。もがいています。

4/4 誰かがいないとつらい

自分がこんなに他者依存の人間になってしまうとは思いもしませんでした。

 

かつての自分は、悩みごとや自分の感情の問題は基本的に自分ひとりで解決すべきだと思っていました。辛さを感じても抑圧していました。それが、元カノと付き合ってから、恋や愛の感情が溢れ出るのと同じようにして、他者に流れ出るようになってきました。

男として情けない話ですが、何度か個人的な悩みに関して、元カノの胸で涙を流したことがあります。自分の気持ちに蓋をしていたのが、元カノによってふやけてしまって、破けてしまったようでした。一度そうなると止め処もなく、自分というのは弱い人間だと思いました。

 

いま、自分は転職したばかりで、仕事が追いつかずなかなか辛い思いをしています。こうした時に元カノがいれば、おそらく同じようにして泣いていたのではないかとも思います。しかし、今や元カノは去り、自分の辛さを自分で処理しなくてはいけません。まさか、親や友人に泣きつくわけにもいかないので。

 

いま自分が求めているのは、泣きつくための胸なのかもしれません。それとも、ひとりで生きていくための美学を取り戻すべきでしょうか。

 

自分は、自分に対して許しを与えることを拒んできました。端的に言って、誰かの胸に泣きついて、優しく頭を撫でられるようなことは、許し以外の何ものでもありません。つまるところ、自分はニヒリズムの渦中にあって、許されたいという強い欲求があったのです。元カノと付き合う前の虚勢は、恋愛の奔流の中で引き剥がされ、許されたいという剥き出しの気持ちだけが取り残されました。

 

自分は、自分のなかのニヒリズムをもう一度見つめ直す必要がありそうです。自分に許しを与えてしまう人が数多いるなかで、許されない自分を生きることでニヒリズムのうちにまみれ実存的感覚を得るような、そういった生への志向を取り戻す必要があるのだと思います。

 

もしそうしないのだとしたら、元カノのように、泣きつく胸となってくれる誰かのことに、一生焦がれるのだと思います。