失恋ふりかえり日記帳

25歳で初めての大失恋。もがいています。

4/12 元カノを責める気持ち

自分は愚かなので、元カノのSNSを見に行って、つぶやきをみて悶々とする、ということを繰り返しています。元カノのことをまだ忘れたくないからこうしているのだろうと思って、あきらめているところがあります。

今日も悶々としていたのですが、なんでもない内容の呟きにまでなぜ悶々とするのだろう、と考えているうちに、自分のなかの元カノを責める気持ちが原因なのではないか、ということに思い当たりました。

 

元カノは生きるのが不器用な人でした。合理的に考えればうまくいかないとわかっていても、様々な理由で修正せず壁にぶち当たる人でした。メンタルも強くなく、しばしばそうしたことで病んでいました。また、出来事や発言を曲解することも多く、なぜか自分が苦しむような解釈をわざわざ採ることがありました。

それは自分に対しても同様でした。特に、別れた前後の自分の発言はことごとく曲解され、元カノの別れを正当化するような論理に使われました。なので、それらの発言の真意が伝わっていないこと、曲解されて責められたこと、彼女自身が苦しんでいることなどについて、今でもかなり気になっています。

 

ひどい言い方をしてしまえば、自分は元カノのことをバカだと思っているのです。自分より元カノのほうが優れている点はたくさんありますから、元カノを人間として見下しているわけではないのですが(むしろ、人間全体としてはすごく尊いと思っていますし、大好きです……付き合っていたくらいなので)、上記のようなことを総合すると、バカだ、と思ってしまうのです。

結局、今日に至るまで、その真意を正しく伝える機会がありません。元カノも吹っ切れている様子ではないので、そのときのことを持ち出すと感情的になってしまうことが容易に想像されます。いつかはちゃんと説明したい、そうすることで自分と元カノ双方のもやもやを解消したい、という思いがあるのですが、いつになるやら、と思っています。

もっと楽に幸せに生きられるはずなのに、と、元カノに対して思ってしまいます。そうしない元カノはバカだ、とも思ってしまいます。そして、やはり元カノのバカさが主因の1つであろう、別れの前後のひどいコミュニケーションのことを思い出し、腹が立ってしまうのです。

いや、もっと言ってしまえば、別れることになったのも、結局は元カノのバカさのせいではないだろうか、と思ってしまっている自分がいるのです。元カノの発言を真に受けるとすれば、元カノが過労状態に陥ったことが別れの主因の1つだったということなのですが、それは構造上明らかに過労状態になることが分かっていたにもかかわらず、そしてそれを自分も伝えていたにもかかわらず、それを放置したことに原因があります。もちろん別れを単純化するつもりはなく、自分の関わり方に至らない点が多々あったということも今振り返れば明確なのですが、それにしても、過労状態は彼女が手を打っていれば避けられたのではないか、そうすれば、別れはやってこず、ふたりで幸せに暮らせていたのではないか、とどうしても思ってしまっている自分がいるのです。

 

これから、自分のなかにあるこの気持ちとどう向き合っていけばよいのか、ということについて悩んでいます。いかなる対人関係においても、その相手の長所と短所を把握することはしますから、元カノとの関係においてもそうであることは問題がないと思っています。問題は、元カノの短所に当たる部分が原因であると考えられること(=別れ、および別れの前後のコミュニケーション)に関して恨みがあるせいで、元カノの短所を見下すような精神状態になってしまっていることです。いますぐに答えが出せそうもありません。自分の中の醜い感情と向き合っていかなくてはいけないのだな、と思っています。