失恋ふりかえり日記帳

25歳で初めての大失恋。もがいています。

4/26 愛することは後ろめたいこと

誰かを愛する、と書くと、何かいいことをしているようですが、本当のところはどうなんだろう、と思ったりします。確かに愛するということは相手を思うことだとは思いますが、世の中には自分勝手な愛というものがずいぶんあるものです。むしろ、自分勝手な方が愛の本質なのではないかな、と思ったりしました。

 

自分が元カノを愛していたのも、自分勝手に愛していました。仮に元カノから愛情のお返事がなくなったとしても、決して止められるようなものではありませんでした。そして、元はと言えば、元カノも自分のことを勝手に好きになったのでした。

付き合い初めの頃は、自分がまだ恋愛というものを理解していない時期で、元カノにどういう感情を抱けばいいのかわかりませんでした。元カノは全身から溢れんばかりに、愛情を表現してくれました。それを見ているうちに、誰かを愛するということがどういうことか、自然にわかったのだと思います。気がついたら、自分も元カノのことを抑えきれないぐらい愛していました。

元カノがなんだか元気がない様子の時も、自分は愛することをやめませんでした。思い返せば、その時期の自分の愛は相当自分勝手だったのだと思います。元カノにとって自分から相当な量の愛を受け取ることは重荷になっていたのです。そんなことにも気づかず、自分は、元カノの疲れている様子を外部要因による一時的なものだと思い、ただ愛することで彼女を安心させようとしたり、元気づけようとしたりしていたのです。結果、2人は別れることになりました。

 

とはいえ、その時期の自分の愛を断罪し尽くす気分になれるかといえば、そうではないというのが正直な気持ちです。自分がやるべきだったのは、違う形で愛するということではなくて、愛以外の部分で元カノをケアしてあげることだったと思います。愛によって相手を信頼関係という檻に閉じ込めるのではなくて、愛は自分勝手なものだから、急に盛り上がったり、冷めたりするものだよ、だから愛せないことに悩む必要はないし、愛せない気分の時は無理に愛さなくていいんだよ、ということを伝えることだったと思います。その上で、自分の愛を、相手の重荷にならないように制御することが必要だったのだと思います。

 

愛は自分勝手で、やってはいけない、と思っても、燃え上がる時は勝手に燃え上がるし、もっと愛さなきゃ、と思っても、冷める時は冷めるものです。愛は素晴らしいものですが、決して「よい」ものではなくて、むしろ後ろめたいものだと思います。どんなに迷惑がられても、愛してしまうから後ろめたいのです。それを「よい」ものだと考えようとすればするほど、認知の不調和に苦しむことになると思います。後ろめたくても、どうしてもやりたくなってしまう、それが愛することだと思いますし、愛することの素晴らしさはそこにあると思っています。