失恋ふりかえり日記帳

25歳で初めての大失恋。もがいています。

10/16 世間に評価されない人間

実に久しぶりにこのブログを書く。誰も読んでいないだろうと思いつつ。

自分の思っていることをどこかに書きたいと思ったときに、日記ではなく人目につくかもしれないところに書きたいと思うことがある。別に褒められたいとか人の役に立ちたいとかではないのだが、なぜか可能性としての観衆を欲していることがある。そういう心持ちに久々になったのかもしれない。

フラれて9か月以上になる。さすがに、フラれた直後のヒドい状態ではない。が、完全に癒されているとも言い難い。むしろ、元カノという特定個人にフラれたことから、任意の誰かと恋愛関係になれる兆しがないという問題に、自分のフォーカスがシフトしているだけである気もする。

今日は、別に恋愛に関してなにか書きたかったわけではない。久々に母校に行く機会があり、同級生と会ったり教わっていた先生と会ったりした。同級生はそれぞれがそれぞれなりの専門性を持って仕事なり学問なりに励んでいる様子であった。

かたや自分は、今年1月に転職したこともあり、ほんのり専門性のカケラ程度は持ち始めているぐらいに留まる。同級生に比べて自分は他人の役に立つ存在ではないし、また、自分の興味を他人に還元できる存在でもないと思った。

というのは、自分は、自分について一番興味があるのであって、それに比べてほかのことは大した興味がないのである(例外が恋愛状態であったが……)。これまで、自分についてネチネチ考えることにほとんど全ての時間と労力を注いでいたと言っても過言ではない。しかし、その興味や努力は、何ら他人に貢献するところがないのである。

正直、これまでその問題について深刻に考えることがなかった。他人の役に立とうが立つまいが知ったことではないと思っていたからである。しかし、先生たちに会って、彼らが自分を何らかの意味での立派な人間として扱おうとしていることを感じたときに、そうでない自分とのギャップに、暗にこの自分はこの関係において歓迎されていないことを感じたのである。そして、暗然とした気持ちになったのである。

他人から見たときに、自分にはなんら価値がない。それは、ある意味では、他人から価値を感じてもらえるところを自分から積極的に捨てていっているからでもある。世間的には自分は頭のいい部類に入るが、その頭のよさはほぼすべて自分について考えることに費やしてきた。また、歌も多少うまいが、それを利用して他人に素敵な歌を届けることもしない。自分が作るのはもっぱら自分に関する歌であり、それも極めて暗く独善的な歌である。いわゆる「いい声」では歌わないように、あまり歌声が映えないように曲を作っている。こんなことばかりしているから、自分は他人から見た自分の価値を積極的に下げにいっていると言われても、反論のしようがない。

見た目に気を遣わないこともそうである。もちろん、自分にとっての最低限ぐらいは気を遣うが、それは世間的な最低限をどうやら大きく割り込んでいるようである。そして、それ以上には気を遣わないのは、見た目に気を遣うことが世間的な「よさ」にコミットすることだからである。世間的な「よさ」を切り捨て、より個別的な感覚を追い求めたいなどと思うから、こういうことになってしまうのである。